食品照射の悪夢 マイケル・コルビー

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 照射産業の最悪の原子力事故と食品照射の父と呼ばれる 重罪人の人物像を考察し、もし食品照射を止めさせたいのなら 私たちができることは?

1988年NRC(原子力規制委員会)はテキサスのタラント郡で、照射に熱心な人、連邦規制官等を呼び集めて、原子力産業の過去を清算し、将来の発展を確信するためにワークショップを召集した。それは彼らの失敗を過去に押し込むチャンスだった。そしてわずか数週間後、アメリカで最も高くつく原子力事故と、新進の産業 の父と呼ばれる人物の重罪判決という照射産業の最悪の事態が待ち構えていた。これらの照射産業に起こった狂気の沙汰はまさに氷山の一角だった。

●食品照射のスリーマイル島●

 1988年 6月 6日天然資源ジョージア局によって、食品照射のスリーマイル島と呼ばれているセシウム-137漏れ事故が発見された。ジョージア州アトランタのRSI (照射殺菌装置株式会社)で起きた深刻な原子力事故で、ついに世間はRSIと原子力産業全体に注目した。セシウム容器の二つの亀裂が原因であった。少なくとも 3人のRSIの従業員が被爆し、設備内の貯蔵プールの25.000ガロン(95・)の水や広範囲にわたる施設中の汚染、そして労働者の家や車まで汚染が広がった。事故 の後始末に 4年以上を費やし、納税者の金を4700万ドル以上注ぎ込んだ。事故は連邦高官によって施設の操業がクリーンだと確認された 6週間後に起きていた。放射 能漏れが疑われていた時期に照射されていた生産物のほとんどが回収するのは完全に不可能であった。

●セシウムを追跡●

 1985年、RSIはDOE(アメリカエネルギー省)と交渉を持ち、初めて民間会社がワシントン州ハンフォードに何年も貯蔵されていた連邦所有のセシウムを受け 取ることに関心を示した。放射線廃棄物を商業分野に移すことがDOEの副産物利用計画の当初の目的であった。RSIはNRCの支援で免許を取得し、NRCが抱 えていた12、3百万キューリーの放射性廃棄物に目を付けた。それらは米国の3つの原子力発電のものを除いて最大のもので、その上、繰り返し水中に沈めたセシウム のカプセルは腐食によって環境への影響も懸念されていた。NRCの核物質安全保証局がこの懸念を和らげるためにRSIにセシウムのカプセルの安全テストをオハ イオの実験施設で行なうよう要求した。しかし長期のテストを提案したNRCはRSIとDOEからの圧力によって、たった数か月で断念し、今日、再び照射施設で 合法的に使われている。そして産業局はもし食肉照射が公衆に広く安いという理由で受け入れられれば、コバルト60の代替線源として、より長い半減期の連邦政府所 有のセシウムが使用されるだろうと信じている。
 RSIは“ステリジェニックス”と名前を変えて記録を消し、再び照射は完璧に安全と称している。

●照射産業の父は重罪の父●

 原子力科学者で、AEC(原子力エネルギー委員会)の前の職員であるマーティン・ウェルトは照射企業の創設者で、新進の食品照射産業の父となるとみなされた。しかし、ウェルトは1988年夏のRSIの事故後、たった 6週間で有罪を宣告された。
 ウェルトは1950年代の原子力の全盛期にニュージャージーに彼所有の会社、RTI(放射線技術会社)のトップになるまで、AECで危険評価に携わっていた。
 1977年、RTIの従業員が偶然照射室に入り重大な放射線被爆が起こった。NRCの事件調査はこのような事故を防ぐための、照射室のドアと連動させる安全装置が取り壊されたままにしていたことを暴露した。しかしその後10年以上も、NRCの警告にもかかわらず改善しようとしなかった。
 NRCはウェルトが管理職を辞任するならRTIの操業を認めるとして、ウェルトはトップの座を降りたが、DOEが彼を照射施設の計画と建設のエキスパートとして 1時間 100ドルの顧問料で、すぐに雇った。あるニュージャージーの新聞に曰く、この突飛な起用を[NRCは彼を解雇し、DOEは彼を雇う]と。

●判決●

 1988年、ニュージャージーの検事サミュエル・アリトーはついにウェルトに対し刑事訴訟を起こした。ウェルトは幾つかの重罪、NRCへの偽造書類の提出、安全性の欠陥を隠すための共謀などに問われ、 6件のうち 5件について有罪となった。
裁判は彼の施設で違法に甲殻類やカエルの足に照射し続けていて、金銭の授受によって隠そうと企てたこと、表示の無いトラックを使ったり、貸しトラックで照射されたシーフードを輸送していたことも暴いた。ウェルトは 2年の投獄と 5万ドルの罰金を言い渡された。これは処罰のガイドラインにそった投獄37年と 1千 5百万ド ルに比べて、てぬるい判決だった。
 そして1990年にウェルトが刑務所を出たすぐ後に、FDAによって彼の家禽類への申請が認可された。
 FDAの1990年の認可を知るとすぐに、F&W(フード&ウォーター)はただちに意義を申し立てて、法や規定を繰り返し犯し、罪に問われているウェルトの安全 確認をどうやってしたのか知りたいと要求した。 7年後、FDAはウェルトの言葉に依存した決定に対するF&Wの申し立てを拒否した。
 1997年12月 3日、官報に、マーティン・ウェルトが重罪を犯したという事実は論争中のまとではないとし、ウェルト博士の地位は、家禽類の最終基準の環境への影 響の可能性の当局の評価とはまったく関係がない。なぜならFDAは科学的な方式により、RTIの環境情報を評価する、としている。しかしRTIはウエルトが経 営していた会社である。そしてFDAは、施設が適切で安全な基準で操業されることをふまえて、環境への影響を評価するのであって、最悪のケースの分析まで想定 していないのである。しかし、ウェルトはこれらの規制を有罪となって刑務所に入るまでほとんど無視していた。そしてFDAの家禽類の認可は、たとえ照射施設で 事故が起きていても或いは事故が増えようとも、これらの要因はFDAの環境アセスメントとは関係がない、というのに等しい。
 ウェルトの重罪宣告の結果、彼のアメリカでの原子力免許の保持は認められない。しかしそれでも彼は息子アンドリューとアルファ・オメガ・テクノロジーという 、食品照射を国際的に促進するための新しい会社を始めた。ウェルトは子会社カリバファームスというドライフルーツとナッツの会社の創設者であり社長でもある。

●判決●

 1988年、ニュージャージーの検事サミュエル・アリトーはついにウェルトに対し刑事訴訟を起こした。ウェルトは幾つかの重罪、NRCへの偽造書類の提出、安全性の欠陥を隠すための共謀などに問われ、 6件のうち 5件について有罪となった。
裁判は彼の施設で違法に甲殻類やカエルの足に照射し続けていて、金銭の授受によって隠そうと企てたこと、表示の無いトラックを使ったり、貸しトラックで照射されたシーフードを輸送していたことも暴いた。ウェルトは 2年の投獄と 5万ドルの罰金を言い渡された。これは処罰のガイドラインにそった投獄37年と 1千 5百万ド ルに比べて、てぬるい判決だった。
 そして1990年にウェルトが刑務所を出たすぐ後に、FDAによって彼の家禽類への申請が認可された。
 FDAの1990年の認可を知るとすぐに、F&W(フード&ウォーター)はただちに意義を申し立てて、法や規定を繰り返し犯し、罪に問われているウェルトの安全 確認をどうやってしたのか知りたいと要求した。 7年後、FDAはウェルトの言葉に依存した決定に対するF&Wの申し立てを拒否した。
 1997年12月 3日、官報に、マーティン・ウェルトが重罪を犯したという事実は論争中のまとではないとし、ウェルト博士の地位は、家禽類の最終基準の環境への影 響の可能性の当局の評価とはまったく関係がない。なぜならFDAは科学的な方式により、RTIの環境情報を評価する、としている。しかしRTIはウエルトが経 営していた会社である。そしてFDAは、施設が適切で安全な基準で操業されることをふまえて、環境への影響を評価するのであって、最悪のケースの分析まで想定 していないのである。しかし、ウェルトはこれらの規制を有罪となって刑務所に入るまでほとんど無視していた。そしてFDAの家禽類の認可は、たとえ照射施設で 事故が起きていても或いは事故が増えようとも、これらの要因はFDAの環境アセスメントとは関係がない、というのに等しい。
 ウェルトの重罪宣告の結果、彼のアメリカでの原子力免許の保持は認められない。しかしそれでも彼は息子アンドリューとアルファ・オメガ・テクノロジーという 、食品照射を国際的に促進するための新しい会社を始めた。ウェルトは子会社カリバファームスというドライフルーツとナッツの会社の創設者であり社長でもある。

●将来の味?●

 1998年、照射熱狂者はもう一度鳴り物入りで宣伝し、猛攻撃を開始した。大手食 品産業協会はが応援し、議会は全面支援で議論に臨んだ。そして今、メディアは何 もしないばかりでなく、死んだ振りをしている。
 一つ確かなことは核照射施設が建った数はそれだけ原子力事故の数になるだろう ということだ。そして数百の新しい照射施設によって、彼らの望みどおり照射食品 の需要が急増すれば、破壊的な原子力事故の可能性はより現実になるだろう。
 照射産業はすでに特徴的な事故、ジョージア州デカチュアで起きた食品照射の“ スリーマイル島”と呼ばれる事故を経験している。絶対に“チェルノブイリ”に匹 敵する事故を起こさないようにするのは私たち次第である。将来原子力熱狂者が健 康や安全規制を踏みにじり、労働者を危険にさらすような原子力免許を手に入れな いようにすること、地域や環境を守ることは私たちに係っている。そしてこれらを 達成する道はたった一つだけである。精力的にすべての照射食品に反対し、ただち にそのような不必要な技術を放棄させることである。
F&Wジャーナル’98春号より(抄訳 木村)

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