学校給食は、福祉ではなくて教育の中に組み込まれ教育の中に位置づいているのです。1954年(昭和29年)に、学校給食法という法律ができました。これは奨励法という法律で、学校給食がやれない所はやらなくてもいいけれど、学校給食をやっているところは給食が教育の中に位置づいているということです。ただし、学校では給食を教育として扱ってこなかった歴史が、矛盾として出てくることの原因なのです。それでも、学校給食は法律で教育として位置づいていますから重たいということを説明していきます。
学校給食というのは家に返したらいいんではないかと、政府の臨時教育審議会の委員だった木村治美さんなどは言っています。箸の持ち方、しつけなんか、家に返せるものは、どんどん返してくれ。そこで最後になにが残るか。私は給食と見ていないのです。食教育という形で見るべきだと思います。
学校の中で食教育をするのはどうですかと、いろいろな人に尋ねると、これに反対する人はまずいません。食教育というのは、家庭科でもやっているんです。理科でも消化吸収のことを教えたり、保健でも教える。いろんなところで食教育はされている。その中に給食も入っている。ただ食教育というのは必要か、そうでないかということが議論になります。
なぜ、学校の中で食教育が必要か。例えば、消費者団体や生協に入っている人たちが、あちこちで勉強会をやって、私もときどき呼ばれて話にいくわけです。そこで私は、この人たちに話をしても役に立たないなと、考えながら話をしています。お腹に子どもができたり、子どもが生まれてしまった人たちに話しても、一生懸命わかったような顔をして聞いていますが、最後にこんな質問や相談を受けます。「何を食べたらいいでしょう」とか、「どの生協に入ったらいいでしょう」というものです。問題はそういうことではないはずです。それだったらと、こちらもカルチャーセンターのつもりで話をしています。
大人になってこんなに勉強会をしなくてはいけないことは、何を意味するのか。それは小中学校の中で何にも食教育を受けてきていなかったことのあかしなんです。要するに食べることについての情報提供がされていない。学校そのものが、なにもしてないということを意味しているんです。学校給食が食教育に役に立ってこなかったことをみごとに証明しているのだと思います。
急に大人になってから食べもののことが心配になって勉強を始めるのです。それだったら、小学校や中学校を卒業してきたときに、食べものの安全とはこういうことだとか、病気と食べ物の関係とかがわかるようにして、大人になってから勉強しなくてもいいようになっていればいい。そのためには、学校の中で何を教えたらいいのか、それを家庭科で教えほうがいいのか、理科で教えたほうがいいのか、保健で教えたほうがいいのか、給食で教えたほうがいいのか、そういうことを分担しておけばいいことです。
こういうことをまるっきり考えないできたのが学校給食です。なんで学校給食はそのことを考えなかったかというと、生い立ちが悪いのです。
戦後の学校給食がどのようにして始まったか。いろいろな栄養士や調理員が書いたものを読むと、世田谷の女の先生たちが文部大臣に、子どもが飢えて食べるものがないのだから給食を作ってくれと会いにいったけれど、どうしても会えないから、待ち伏せをして大臣をつかまえて直訴したとか、いろいろな話がある。
食べものがないといったときに、では、学校で給食を出そうか、脱脂粉乳だけでもいいとか、アメリカからの救援物資であるララ物資みたいなものが入ってきて、子どもたちに食べものとして提供されてきた。まさに福祉だった。お腹の減っている子どもに対して、食べものをどう提供するかがポイントだったのです。
ところがその後、アメリカから脱脂粉乳をもっと飲むように、
倍の量を買ってくれという申し出がきている。そんなには飲みきれないわけですよ。脱脂粉乳の臭いはきらいだとか、お腹をこわしたとか、くさい、へんなものが入っているとか、ずうっと事故があってもめているなかで、もっと飲め、倍飲めといわれたときに、飲む子がいなかったわけです。
なんとか中学生にまで脱脂粉乳を飲ます根拠をつくらなければいけなかったので、文部省はどうしたかというと、1954年(昭和29年)、学校給食を教育に位置づける学校給食法という法律をつくって、それを根拠にして中学生に脱脂粉乳の消費拡大をはかっていくわけです。
日教組という学校の先生の組合がありますけれど、脱脂粉乳なんかを中学生にまで飲ます必要はない、それを学校給食法に位置づけてやること自体、強制でおかしいと、当時、日教組は学校給食法に反対し、給食は雑務だということで、手を出さないようにしていくわけです。
だから学校の先生たちの中には、その暗黙の了解がずっと代々伝わってきていて、学校給食をまじめに考えないという風潮がしっかり根づいているわけです。あんなものは雑務だから、学校ではやめたほうがいい、おれたちが仕事しなくてもよくなるなら、センター化でも、民間化でも、好きなようにしてくれというのが根底にあるわけです。
お母さんの中には福祉の給食があれば、弁当を作らなくて楽だという人たちもいます。それはそれでもいいのです。それだったら、福祉の給食というのは、自由選択でいい。自由選択ということは、どういうことか。うちは弁当にする、うちは給食にするということです。それは学校給食が福祉の場合です。
教育行政と福祉行政というのがあります。役所の人がきて、あなたのうちでは金がないでしょう、生活保護をどうしても受けてくださいと金を置いていかれたなんていう人はないはずです。うちはどうしても生活ができない、生活保護を受けなくてやっていけないとなると、自分で申請しなくてはいけないのです。いろいろなところをさんざん調べあげられて、はじめて金が出る。それが福祉行政です。
ところが、教育行政というのは別のもので、うちの子は日本の教育を受けなくてもいいと教育を拒否していると、親のほうに罰則があります。教育行政に位置づいているということと福祉行政、サービス行政に位置づいているということでは、根本的に意味が違っているのです。
いまの学校給食はまさに奨励法といわれるものだけれど、学校給食を始めてしまえば、まさに教育なのです。「教育の一環」という言い方をしていますが、あれはまちがいです。学校給食は教育そのものとして位置づいているのです。
給食は無理に食べなくてもいいのです。最終的には食べなくていいけど、それが教育の意味があればいい。文部省もどうしても子どもが給食を食べたくないといえば、無理やり食べさせることはできないけれど、給食というのは教育的意味があることは動かしがたい、そういった前提があります。ここがはっきりしてないと混線が起きるわけです。
庄和町はまさにそれが起きたところなのです。庄和町はもう教育的意味はなくなったといっています。庄和町は何をいままで教育としてきたのか。福祉の給食ですから、お母さんたちは弁当を作るのがたいへんだ。一方、庄和町は教育は終わった、だからやめるという。あれでは議論にもならないわけです。
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