基本的には学校給食で何を教えるのか、もう教えることはないのかということです。箸の持ち方、食べ方なんて、そんなものを学校で教えてもらおうなんていうのではなく、家で教えることでしょう。でも、家では教えられないことはなにか、学校で教えてもらわなければならないことは何を、一度でも考えたことがあるかどうかということなんです。
たぶん生協なんかに入っている人は、食べものの安全性とかいろいろなことをいっているかもしれませんが、食べものの安全はどうやって規定されているかといわれると、なかなか答えにくいと思うんです。この農薬はどれだけ食べたらいいの、それは食べたければどれだけ食べてもいいんです。農薬がないほうがいいのに、なぜこれが食べ物になるのか。
意外と簡単なようですが、みなさん、いろいろなものをなんでも食べているようですが、そうではない。栄養価に富んだものがいろいろあるけれど、これは食べて、あれは食べない。これが食べ物になっていても、あれは食べ物ではないとか。それはなぜなのか。
みなさんの中に鳩を見ると、どうも食欲が出て、あの鳩を食べたくなるという人はいませんか。うちのネコがおいしそうとか、あのイヌが食べたいとか、ペットを食べたくなっちゃう。野生の鳥、鴨は食べる。すずめも食べる方がいますね。でも、鳩はふつうは食べない。でも、フランス人なんか鳩料理なんて美味しいものだと言って食べています。
ところが日本人というのは、この20〜30年の間に、その大きい食文化の部分を企業にもっていかれるようなかたちをとったわけです。自分たちで作らないで、食品産業にまかせちゃいましたから、食品添加物を年間85万トン、国民1人当たり1年に7キロも使われているわけです。
私は大丈夫、生協に入って、いいもの食べているからといっても、そのぶんの7キロは他の人にいっているんですから、かなり罪深いわけです。それは加害者側に回ったということです。加害者に回ったときに、始めて運動しなければいけないという意味が出てくるのです。自分の食う分を他の人に食わしたらいけないから、その分をどこかで減らしていく運動をしていかなければ意味がないのです。
いいものばかりさがして歩いている親がいるんですね。それで子どもはいい迷惑をしているわけです。なにか美味しいもの食べたいな、これが食べたいなというのに、親はだめだという。それに、あれを食えこれを食えとうるさい。どうみても、それは美味しくないものばかりを食べろという。
でも、「いいもの選んで食っているんだ」というところに、ほんとうはいまの食を考える根本の問題があるんだと気がついた子になるように育てる必要があるわけです。
では、どんなことをどう教材化して学校で教えたらいいのか、
そのことをだれもきちんと考えてこなかったということです。栄養士は栄養士で、調理員は調理員で、学校の先生は学校の先生で、なんにも考えていなかったのです。
多くの調理員さん、栄養士さんはたしかに一生懸命やっています。例えば、私たちは無農薬のものを子どもに食べさせています。でも、そんなことはへの役にも立たない。一生懸命やった調理員や栄養士さんが自己満足しているだけなのです。
無農薬の野菜を作ることがどれくらいたいへんで、それを学校給食に使うことに、どんな苦労をするのか、そして、無農薬と農薬を使ったことのちがいが最終的に食べる子どもに伝わっていないと教育と言わないわけです。
それでもようやく自治労や日教組から集まった50個ほどの事例のうち、25個ほどを並べたわけです。
例えば、子どもたちが参加して自分たちでジャガイモを作ったり、サツマイモを作ったり、この作るということは、すごく重要なのです。この中でも、自分たちの作ったものは、ジャガイモなんかでも、とても小さくてふつうなら捨ててしまうようなものまで拾ってきて食べる。
渋柿をいっぱい届けてもらって、教室で自分たちで皮をむき、干し柿にすると、干し柿が嫌いな子でも、給食のときに自分でつくったものが出ればみんな食べちゃう。干し柿を作るなかから、包丁を使うなど、いろいろな工程を学んでいく。知らないうちに教育になっているということです。
そういう例を少しずつ集めてみたのです。もちろん、これでも教材化としては、ことは足りていないのです。
ほんとうに子どものためを思って、一生食事を提供してやるならそれはいいんですけれど、小学校を卒業して、それで終わり。教育というのは、その場だけの対応ではないのです。その子が大人になっていくまでの過程で何を伝えておくかということですから、それをやらないといけないわけです。
静岡の学校給食のブタ肉から注射針が出たということがあります。どうしたら注射針が出てくるのだろう。それを調べて伝えていくことが重要なのです。ブタにワクチン注射をするときに、ブタが暴れて針が折れるのです。金属探知器で調べていたの見逃してしまった。こうしているから針が出るのだと。それを理解したときに、はじめて子どもたちは世の中のブタはこんな問題があるし、検知器が万能でないということに気がつくのです。
調理場の機械をどうするか、どんな調理器具がいいとか、あれも食の安全を考えるときには、なぜ、カッターを使う機械調理ではないほうがいいか、手切りのほうがいいか。手切りでは、いちいち切るときに材料のチェックができるのです。虫食ったところはないか、へんなものが入っていないか、見ているのです。機械でワーッとミンチにしたら、知らないうちにネズミもいっしょにいたということがあるわけです。
では、こんなことなら、やめたほうがいいということがわかるわけです。それをやらないと意味がないのです。そういうことをしてこなかった歴史が、実は学校給食なのです。
ですから、私たちのまわりには問題になることがいっぱいある。子どもに教えておかなければならないことがたくさんあるのです。
例えば、食中毒防止に野菜のキャベツは、塩素で洗いましょうという所もあるのです。キャベツの線切りで中毒になった人はいるでしょうか。今日、トンカツにキャベツをつけようと思ったけれど、中毒になりそうだからといって、キャベツをいちいち塩素で洗っていますか。
学校給食では、食中毒防止だといって、100とか150ppmの塩素の中に3分間くらいつっこんで、それを洗っているんです。こういうのを過剰防衛というんです。キャベツの中なんてほとんど無菌状態ですからね。10の4乗倍くらいしか菌はいないですからね。皆さんの手よりきれいです。自分の手をなめて中毒になったなんてことはありません。そのくらいおかしなことが平気でやられているんです。それをおかしいと思ったとしても、だんだん気がつかなくなっていってしまうことが問題なわけですよ。それが直せない。
教材化するためには、どのくらいの準備がいるか。なかなか、それだけの能力がないからできない。しかし、教材化して教育的に意味のある食は、たくさんあるということです。
極端な言い方をすると、悪い例があったっていいということです。今日のカレーライスは「放射ジャガイモ」といって、芽が出ないように放射線の当てたジャガイモを入れてみました。さあどうしましょう。最後にジャガイモがたくさん残ったというと、教育の勝ちですよ。みんな食っちゃって、残飯がなかったというと、教育の負けですよ。
今日はポリプロの食器で、次の日はアルマイトで、その次は陶器で。さて、どれがよかったでしょうといって、はじめて教育的な意味があるわけです。昨日も今日も悪い例ばかりでは、教師のほうも言いづらい。「昨日も、今日もポリプロの食器ばかりで、ごめんね」なんて、ずうっというしかない。そこいらへんの教材化の努力が何もされてきていないわけです。
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