正しいかどうかの評価は学校の悪い癖

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 いろいろな人が家庭の教育力を回復させようと言っています。
そんなのいくらやってもかまわないことです。箸の持ち方を家庭に返したっていいんです。『学校給食教材化マニュアル』の中にも、学校の先生が正しい箸の持ち方というのを例として出しています。でも、正しい箸の持ち方と言われると困るわけです。うちの子は小児まひで、そうやって箸が持てないんですと言われたら困っちゃう。正しくなくなっちゃうんですから。箸は持てればいい。器用に食べている人はいっぱいいます。なかなかユニークでおもしろいので、ほめなくてはいけません。
 正しいか、正しくないかということではないのです。それは評価ですけれど、学校というところは、評価する癖がついているのです。評価しないことには、学校の先生は困るのです。

アレルギーはすぐには治らない

 最近、アレルギーというのが流行しています。親はすぐ目の前で治してほしいのだけれど、治りません。医者は薬をつかえば、発作とか、ちょっとした湿疹くらいはおさえられますけれど、アレルギーそのもののは抗原抗体反応なので治すには時間が必要で、だいたい中学校に入るくらいまではかかります。
 でも、目の前でアレルギーがおきている子どもを見ると、にっちもさっともいかないから、わけのわからない民間療法にどんどん引っかかっていくのです。わけもわからなくなるほど、めちゃめちゃにいろいろとやっているうちに、12〜13歳になると、ようやく治る。
 それでやめておけばいいのに、隣の人にこういう方法がいいからと、すすめるわけなんですね。また、その人も次から次へとめちゃめちゃにやって、なかなか当たらなくて、どこかで当たって、これがいいとなってくる。みなわけがわからなくなっているわけです。

食事制限で高まる子どものストレス

 アレルギーは、いろいろな原因があります。食べものも原因になります。国立小児病院でアレルギーをもっている子ども200人の調査がありました。食事制限が始まって一番安心するのが母親、地獄が子どもでした。アレルギーをもっている子どものお母さんは疲れ果ている部分が多くて、病院で食事制限や除去食をしてもらうと、精神的にすごく楽になります。
 一方、お母さんに、あれは食べちゃいけない、これを食べなければよかったなんて言われて、子どもはストレスの固まりになっていくわけです。食い物を制限された子どものストレスはものすごく大きいんですよ。
 それに、やめておけばいいのに、学校で何か食べられないものがあったら、私が面倒見てあげましようと善意の固まりのような栄養士さんが出てきてしまうわけです。いいんですよ、やりたければやっても。でも、間違ってしまったということもよくあるんです。卵がだめなのに、ある日、間違えて出してしまって湿疹が出て大騒ぎ。死ななかったからいいのですが、でも、死んでしまうこともある。その重みに気がついていない。

学校と病院では栄養士が逆の仕事

 アレルギーでは、学校の栄養士と病院の栄養士とでは、やることは違うんですよ。同じ子どもに対して、病院の栄養士は減感作といって、少しずつ卵を食べさせようとしているのに、学校の栄養士はひたすら食うな、食うなとやったりするわけです。こっちの場所とあっちの場所で治療法が異なってきます。「医療の場」と「教育の場」はちがうということです。
 学校でアレルギーの子の面倒を見てやるということは、どういうことを意味しているかというと、食事制限しなくてはいけない病気の子に、学校はすべて面倒みてやりますよと、言っているのといっしょなんです。うちの子は糖尿病ですから、糖尿病食よろしく。うちは腎臓病ですからとか、「いえ、腎臓病はお断りです」とはいえないわけですよね。そのときにそれをちゃんと真面目にやるんだったら、どのくらいまでやるんだということを覚悟して、責任問題まで含めて、腹を決めなければいけないんです。
 学校でアレルギー食などの面倒を見てもらっている子どもを回りの子どもから見れば、「あの子、いいないろんなことしてもらっていいな」となる。たまには逆に発想して、腎臓病の食事をみんなに食べさせてあげよう。「あの子はこういう食事でおいしそうに食べているけど、じつは塩気がなくて、こんな食事を食べているのか」とみんなが気づくわけです。それを元気なときに理解しておくということはとても重要です。病気で食事制限されるということは、どのくらい味気なくてつらいかということが教育できるわけです。でも、それだけの能力をもった教師がなかなかいないというが問題になります。

なんでランチルームなのか

 ランチルームを作りたいとか、バイキング方式がすごいといわれている。見た目や写真がきれいだから、新聞や雑誌で取り上げます。ランチルームがなぜいいのか、バイキング方式がなぜいいか、ぜんぜん考えていないんですよ。
 食堂文化なんて、もともと日本にないんですよ。布団を敷いてあるところを片づければ、居間になったり、そこで食事をすることにもなる。日本ではそういう食文化なんです。
 ヨーロッパでは、なぜ食事のために部屋があるのか。彼らは食ったものをポンポン床に投げるわけですから、掃除が楽なようで、やはり食堂が必要だったわけです。
 もし、学校に食堂をつくるなら、大前提として、すぐ隣に調理場がないと意味ないんです。給食センターからトラックで食堂に運んだって、これはなんだというだけです。そこで、知恵を絞って、じゃあ、6年生と1年生とが一緒に食べられるようにして、交流できるようにしようと。そこでなんとか少しは意義を見つけたりしているのです。
 カフェテリア方式なんて、もともとは、早く食って働けというファーストフードです。同じようなものが盛り切りになっていて、残してもいいからパーッと速く食べて、すぐ働きに出るためのものです。そうやって訓練して、企業戦士として送り出しているのです。
 いまの学校給食でやっているカフェテリヤでは、みんながそろってから「ハイ、いただきます」といっしょに食べ出して、最後の子が食事を終わるまで席でずっと座って待っているんです。これでは、普通の給食より時間を余分にとっておかなければならないわけです。
 そんなおかしなことをやっているのが学校給食なのです。カフェテリアをどう教材化するかです。こうやって速く食べて、残してもいいんだよ。早く遊びにいかなくてはというのが、ほんとうによいかどうかは別として、カフェテリアで食べる意味はなにか、そういうことをひとつひとつ洗い出して、教材にしてみようということです。

給食をだれがどう変えるか

 学校の先生たちや、調理員さん、栄養士さんが考えなおさなければいけないことが、根底からあります。栄養士さん、調理員さんは、夏場は2回、検便しているわけです。「なぜ、検便しているの」と聞くと、「食中毒防止のためだ」といいます。検便で食中毒が防止できるなら、日本中、みなで検便すればいいわけです。日本から食中毒をなくすという目的で、だれもが月に2回、検便をやれば、日本中、世界中からだって食中毒がなくなります。

検便はなぜ悪いのか

 検便は食中毒とはまるっきり関係ありません。検便しても、食中毒は減りません。自治労に行って、「検便はやめませんか。そういう運動をしましょう」といったら、しばらくして返事がきました。「やはり検便はやめられない。あれをしていると安心する」と。安心するだけでいいなら私がすごくいい「お札」を作ってあげます。検便と同じだけ効果のある「お札」です。それを調理場に貼って朝、皆でおがむわけです。それで検便をやめちゃっても中毒は起きませんよなんてね。
 いいんですよ、検便が大好きで、大好きでしょうがないというなら。でも、自分たちだって、ほんとうは出したくないなと思いながら出しています。いかに非科学的か。習慣として検便をやっている。それが止められないのです。
 なぜ検便をしてはいけないか。便というのはプライバシーなんです。便を調べることで、個々人の体についてのプライバシーがわかってしまうのです。自分のプライバシーが侵害されているということに気がつかないような人たちが給食に関わっていると、子どもたちへの人権侵害をしていても、それに無頓着なままだということです。このあたりからも給食を変えていく必要があるのです。

利権で学校給食は生き延びる

 学校給食はつぶそうと思っても、すごくむずかしいのです。利権がからんでいるのです。調理員さんが約7万人、栄養士さんも1万人います。学校給食会だとか教育委員会で給食を担当している人がいっぱいいます。校長をやめたり、教育委員会の課長をやめると、2年間くらい学校給食会に天下って給料もらってゆっくり暮らせるようになっている。みんなで1兆円に群がって食っています。そういうのを利権というのです。
 学校給食会から「新しいミンチボールを開発しましたから月2回は使ってください」といわれて、栄養士さんもまじめですから、ちゃんと給食のメニューの中に入れて、しっかりピンハネされていくという構造で、利権の中で動いているんです。
 たぶん静岡市くらいの規模のところでは食材費として20億円くらいを親が払っているのです。それに税金からくるお金もあるから、予算は倍の40億円になる。40億円があれば、その5%ピンハネしたって2億円です。ピンハネが1%だとしても、それだけのお金があれば、4人や5人の人を雇えます。

教育しないで、終わったといえるか

 学校給食は教育としての意味がなくなったと庄和町は言ったけれど、庄和町はこれまで、教育として何を努力してきたかと問われたら、実はなにもしてこなかった。それで学校給食の役目が終わってしまったというのは、すごい言い方なのです。
 別な例ですが、有名な栄養士さんがいて、この栄養士さんを配転させないでくださいとか陳情請願されたりしてる所がいっぱいあるんですよ。その栄養士さんがよそに行ってしまうと、この学校の給食が悪くなるとわかっているからです。その栄養士さんが行ったところがよくなるだけでは困ります。なぜよくなったかをほかの栄養士さんにも理解して、そういうことを一般化していかなかればだめなのです。
 子どもたちに何にかを伝えたい、何かを伝えることが重要だと思っているから、親だけがお金を払ってるんじゃなくて、半分は市町村が払っているわけです。子どものいない人たちの税金も使って学校給食がやられているんです。学校給食でちゃんとたいじなことを学んでくださいよというためです。
 それならば、私は子どもがいないのに給食費を税金として負担しているんだからと、自治体や教育委員会に文句をいったっていいわけですよ。子どもが人質にとられてないから、言いたいことを言えます。だれもが声を出していいのが学校給食で、それが反映されなくてはならないものなのです。
 いま学校給食で子どもに伝えておかなくてはいけないことは何かをみなさん自身で考えてほしいのです。まだまだ学校では、やれていないことばかりのはずです。学校給食でやるべきことはいっぱいあるのです。

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